いつだって文学に置き換えれば大丈夫だった。

何時だって、何だって起きたっておかしくない世の中だ。それは時にして、喜びが躍進しすぎるあまりどこかへ飛んでいけそうなくらい嬉しいことかもしれないし、時にして、誰にも語ることのできない深い闇が襲ってくるくらい、重く苦しいことかもしれない。けれど、すべてそれらは自分に起因している。自分にとって無関係なことは自分を決して巻き込んでこない。こんな運命に翻弄されて、というか自分から巻き込まれつつ毎日を生きているけど、わたしは毎日がとって楽しいのだ。切ない気持ちも、悲しい気持ちも、自分への憤りも、すべて飲み込む余裕がある。いや、期待と言った方がいいのかもしれない。

 

 

苦い

 

色々考えなくてはならないことはあるけど、ゆっくり、ひとつずつ考えていこうと思う。

 

わたしは成績出るまえは就活をしつつ日々アルバイトをしていた。編集部の方も一段落してようやく肩の荷をおろすことができるようになりつつあるし、接客の方も常に辞めたいと思っていた頃から一転し、まだ続けてもいいと思い始めるようになった。少しずつではあるが、自分の態度が前向き変わるにつれて環境が変わっていった。そんななかでの、留年の知らせだった。

自分にとってなにが大切なのかを日々考えていた。「こんなつまらない大人になりたくない」という気持ちがありながらも、だからといって自分に何ができるのかも正直わからないし、何をしたら面白いのかが全くわからない。自分の目指す指針がないまま日々は過ぎていった。まるで、現代の若者を代表しているような言い草ではあるが、本当にそうだった。自分がいつもなにかについて考えているときに、わたし何かを見下しがちではあるけれど、自分が見下される側のことをいつだって気にしてしまう厄介な性格であることは昔からわかっていた…。誰に同意を求めるでもなく、本当に辛いときは辛いと言えないことを実感する毎日である。留年のことを知ったとき、反射神経のように、先生には言えたけど、それ以外の人にはなかなか言えない自分がいた。自分から親に言えなかった。友達にも言えなかった。親はもちろん勉強しなかった私を叱るし、事実がそうなのだから何も言えない。そして溜め込む。自業自得であるのはわかっているが、自業自得の私にも感情はあるのだった。だた、歯を食いしばって自分に「つよくなれ」としか言えなかった。自分の味方は自分しかいない。稚拙なわたしではあるが「かんがえろ」と言い聞かせる。そんな毎日だ。大げさであるかもしれないが、こんな感情初めてだった。自分の脆さや、自分の無力さを痛みで知ることが、ここまでしんどいとは。常に安らぐことのない、この恐怖心との葛藤はいつ終焉するのか。…何事も自分次第である。

 

ただの日記。

ライターの井出さんが、とある記事でこう書いた。

ー編集者というのはこういう人である。この世にあまねく散らばる、一見まったく関係ないもの中に、関連性を見いだす。時間も空間も遠く離れた事柄の間に線を引いて、橋を架ける。誰にでもできるわけではない。その線が見えるか、見えないか。それを可能にするのはどこまでも丹念な「観察」と「考察」だ。どこかの誰かが作った既成の枠組みにとらわれてはいけない。バイアスを捨てろ。解像度を上げればそれまで見えなかった、”何か”が見えてくる。ー

 

わたしが伝える側になるためには。わたしの言葉に説得力をもたせるためには。多くのひとに受け入れてもらうためには。社会という無限の世界でわたしは生きていかないといけない。どう舵を切るべきか。どう嵐を乗り越えるべきか。どう大陸にたどり着けばいいのか。脆弱なわたしを支えてくれるものは何もない。そのなかで生きようとしている。組織とか、派閥とか、そんなのわたしには関係ない...と言いたいところだが、実際は関係しかないんだろうな..

 

 

「しかし、だめだ可能なことはすべて必ず起こる、起こることだけが可能なのだ」

フランツカフカの言葉。

わたしはいつも、物事を飲み込むのが遅い。その事柄について深く考えることを拒む自分がいる。

昨日、友人に「悲しいことがあったらどうする?」と聞いた。友人は答える。「山に登ったり、走ったりするよ。」わたし「なんで?」友人「悲しいことが起きたとき、楽しいことを忘れてしまうからね。」わたし「そっか。それだけ?」友人「あとね、それが自分にとってどういう意味があったのかを考えるかな。そうしないと、せっかく、経験したことなのに無駄になってしまう。」

友人が言っていたことは間違っていないと思う、それどころか、正しいと思う。